昭和40年07月18日 月次祭



 先日、吉井の熊谷さんの所から、先生あのこれは東京から送って参りました。娘さんがあちらに縁付いてございますもん。ですからもう大変な大家に縁に付いておられますから、送ってくるものがそのお菓子一つでも、そこらここらにあるという、そういうものと違う、もう舶来のお菓子とかですね。フランスのお菓子で御座いますとか、イギリスのお菓子で御座いますとこの、これを娘の所から送ってまいりました。
 一つおすそ分けさせて貰いますと言うて、小さい見事な箱に入った、よく見ましたら中に塩昆布が入っているらしい、何とか屋の昆布と書いてある。まだ頂いてはおりませんけれども、あの表装箱から見ただけでも、成程立派な昆布が入っているだろうと私は思うんです。その箱書きにです。こういう風に書いてある。「日本名物」と書いてある。私がこう申しましたら、皆さんは。
 ははぁ先生は今日は、どういう事を言おうとなさっているという事が分かるでしょう。私が神様から頂きましたのもその事だけでした。ですからこれからはです、皆さんも考え考え聞いて頂き、私も考え考えお話させて頂きたいと思います。ですから今日私が、神様から頂いて、ヒントを頂いてからお話をするのではなく、ここまではヒントでありこれからは、ヒントを頂いて私が考え考えお話させて頂くのである。
 皆さんもどうぞ、考え考えお話を聞いて欲しいのです。ね、大概だったら東京のお店にある、東京の名物で御座いますから、東京名物と書くのでしょうね。けれどもそれでも東京名物とは書いては無い。「日本名物」と書いてある。私共がですもう近い将来に、椛目の信者じゃなくなるのです。合楽教会の信者、合楽教会のあれが親先生と言われる事になるんです。ですからああ、あれが椛目の大坪さんたいと言う様な時代とは違った大坪さんであり、先生であり親先生にならなければならないという事です。
 東京のそこらここらにある東京名物とは違う。もう日本の名物である。もう世界が相手である。そうでしょうが。そこでです合楽のあれが親先生だと、あの人達が合楽教会のご信者さんだ、合楽教会の総代さんだというようなです、おかげを頂かせて頂くために、がたなからなければならんのです。開けてみたところがそこらここらにある東京名物とさほど変わりはなかったといったら、これはもう可笑しいです。
 なるほど日本名物と銘打っているだけあって中身も素晴らしい。どこの外人の方達がです、買うて行ってこれを、日本の名物だというて出しても恥ずかしくない様な、内容でなからなければならない様に、私共の信心内容もそれなのである。そこにだから焦点を置いておかなければいけない。だから私共が合楽の教会信者であり、教徒であり先生であるという事に、ならせて頂くためには。
 そんなら今からどういう風に変わらなければならないか。どういう風に内容が、立派になっていかなければ、ならないかという事で無かったら、つりあわないかという事をです。私は本気で考えていかなければいけないと、私は思うのです。皆さん、さ皆さん考えて下さいよ。お考えになってる方もございましょう。最近の朝晩の御理解を頂いておりますとですたい、もうとにかく椛目の総代ではない。
 もう合楽の総代を、合楽教会の総代をです、神様が育ててござると言ったようなものを、お話の中から感じます。朝の御理解御祈念の時には、総代さん達がほとんど揃うて、お参りがございます。その揃うてお参りをなさる総代さん方に対して、神様は特別いわゆる総代教育と言った様なものをです、あのご理解の中から私は感じます。今までの椛目の総代ならば十分だ、申し分ない。
 けれども合楽教会の総代と言う事になったら、さもっと立派な総代になれ。例えば、「日本一」と、自他共に許しておるような大きな教会がございます。ね、大阪に玉水教会というのがある。九州には甘木教会がこの近所にはあります。先日から飯塚教会に、あちらの建築の模様を、見せて頂きたいと、総代さん方をはじめ、委員長を連れだって参りました帰りに、甘木の教会を一つ見せて貰おうじゃないかというので、あちらへ参りました。つい最近出来たらしいんです。
 これはもう見事な塀が出来ておるんです。ご承知のように、中身はあんなに素晴らしい。いわば教会が建っております。そらぁもう見事な教会です。初代の親先生の御広前だなあとこう思うんです。それはもう塀なんかもう見事です。昨日もう武田先生が見えられましてから、色々話しておるうちに、「あの塀がつい最近300万円で建ちました」ち、ついこの頃の、記念祭がございました時には、あっこの一角に、天理教の相当大きな教会があったんです。
 その、天理教の教会を皆バラしてしまったそうです。しかも広々とした運動場のような自動車の駐車場が出けておる。ね、そしてつい最近300万円かけて、そらもう見事な塀が出けております。見事です。なるほど日本一甘木の教会の威容を誇るのに十分の御広前です。ところがですこれはまあ、昨日江副先生の言うことでございますけれど、「先生不思議なことで御座いますばい」ち。
 「初代がですね、甘木の教会のあの御結界に座ってござるとですね」ち、「もう御広前に入った途端にです、親先生が御神前いっぱい、御広前いっぱいに感じた」ちいう。甘木の親先生が座ってござった。さあ次から二代が座り、三代が座っておられるとです、「こらあやっぱり御結界は今の先生のスタイルに合わせて作り直さじゃいかんのじゃないだろうかという気すら致します」という。素晴らしいですね、お徳というものは。
 例えばあのう東京の歌舞伎座あたり、いわゆる檜舞台を踏む役者がです。それは地方では名人だ、素晴らしいといっておるけれども、檜舞台であるところの歌舞伎座の舞台を踏むとです、役者がうまく見える。ところがやっぱり名優だという人達が出ますとです、もうとにかく舞台一杯に見えるから不思議ですねえ、芸の力なんです。これは徳の力なんです。昨日見えてからその江副先生の話なんです。これはまあ余談ですけれど。
 「椛目の御広前は素晴らしい」ち、「どこが素晴らしいの」ち、「第一入口が素晴らしい」あそこを開けて入ってくる時です、ここの長い何間ですか二間、三間、四間、五間ですね、五間のここの御広前の横の、廊下側の畳を踏んでくる時です、もうそこで椛目の御広前に着いた、特にあの御結界の後ろへ来る時にはもう、襟を正させるようなものをあそこで感じますと。
 第一私は、椛目に一番初めにここに来てから一番驚きましたのはですね、御結界が偉大であるのに驚きました。ね、いわゆるもう御結界だけがですね、御神殿の殆どを占めているという感じでした。勿論まだ親先生が見えたときには、この御結界じゃなかったですね。今も(  )先生が使ってある、小さいお机でした。その後にこの大きな御結界の机をお供え頂いた時に、私がほうどうしても、この御広前にゃ不向きになっておる、私が御広前が広なるばいと言いよったら、今度の御造営の話がすぐでてきた。
 やはり御結界が中心であることが分かるですよね。先生ですからどうでも、椛目の御広前はです、私共がもし今度儲け出してから御広前ども、建立するときには、御結界の間というものを先ず造ってから御神殿に致します。普通の教会はです御神殿を造って、横のほうへちょっと御結界をおいてあると言った様な感じです。何というても御道の信心は、御結界が中心でございますから、もう椛目のあれを、神ならわせて頂きたいと思いますと言われて、「はぁそうかなあ」と、自分では気がつかなかった。
 皆さんは椛目だけしか知らんから、知りませんけどもです。椛目の御広前にはですね、第一そういうような雰囲気がある。つぎに言ってました。先生今度の御広前が出来よるなら、ね、どこのどげな名人の大工が、どげな素晴らしい設計士が設計してもです、ここの親先生のスタイルに合わせた御結界でなからなければいけませんと。もう私が今度おかげ頂いてから、そのう感心するというわけなんです。
 先生は初めてだったでしょうかねえ、この御簾戸が変わってから見えたのは。はっとこの、御簾戸が締め切ってある。ね、流石にいわゆる椛目スタイルだと(笑い)いうわけです。しかしこういうスタイルだけはです、あちらにおいでになるでも、持っておいでらにゃあきません。と言うてですね、今度の御広前に対するあの、地図を見てから色々と、そのう、いヒントを与えて下さった。ほんとにおかげを頂きましたんです。
 それから思いましてもです。例えばここがいや三十枚の御広前であるならば、あちらが、五十枚廊下を合わして、約百枚の御広前。その百枚の御広前の御結界に、奉仕をさせて頂いてもです、その御広前一杯に感じられるような、私であらなければならない、ということなのです。椛目では素晴らしかったけれど、合楽教会に行ったら先生がこうも見えるごつなんなさった(笑い)ようなこつではならない。
 これは肥えてるから、痩せてるからと言う様なこっちゃない。芸の力であり徳の力であり、やはり信心が現すのである。ですから皆さん方だって、やっぱそういうことになるでしょうが。為にはほんなら合楽教会の信徒でございます、総代でございます、役員でございますという方達がです、どういうタイプに育っていかなければならないかという事です。日本一と、自他共に許しておる甘木とか、玉水あたりの御広前。
 先日からもここで美術担当をしておられます、渡辺先生が商用で大阪に行かれた。それで玉水教会に寄られてから、素晴らしいと思われた。係りが九州の教会とは全然違う。それこそ九州の教会にお参りしたもんだったら、もう度肝を抜かれるように違う。構造が違う、第一係りが違う。ですからそれを全部絵に、自分が絵を画かれますから、もう全部その絵にしてです、もうどこでもここでも全部絵にしてから帰ってきておられます。ね、ですからどうでもこういう所を取り入れたいと。
 先日から飯塚を見せてもらい、甘木を見せてもろうてです、成程こういう建築も素晴らしいけれどもこれはです。ね、甘木にも許さない玉水にも許さない、椛目の独創的なものがね、私は必要だと思うのです。是は椛目だけの御広前だと。是から例えばお祭りする様式というのが、いまどうせねばならんという事はないのです。だから金光教的なものを作るというて皆さん一生懸命、まあその事に研究なさっているんですけれども、
 まあいうならば百年そこそこの宗教ですからね、ですからまだこうせねばならんと言った様なものがない。今日行かせて頂いた最近出てきておる教会などでは、もう全然お社を使わない。御本部の斎場の用に幕を張って、天地書付を下げてあるだけと言った様な御広前すら段々でけて来た。ですからそれとこれとの合中と言った様な意味合いでなくてです、ね、椛目のいうなら私の信心のスタイルに、マッチしたところの、御広前であり御神前でなからねばならないという事を私は祈る。思うんです。
 だから例えば、大工さんに設計士にああじゃない、こうじゃないと委員長もさっき話したことでした。これは委員長ああしてくれ、こうしてくれでは結局私共の、そうあれだけしか入らんのだから、もう神様の世話するしかなかですばい。神様がこう造ろうと思ってござる。そのお邪魔にならん様な信心をしっかりとさせて頂く以外にないよと言うて、まあ、話した事で御座いましたけれども。
 そういう信心とても、次の合楽教会に籍をおかして頂く信者、信奉者であるための、信心をそこから作っていかなければならない。皆さんこうやって、お話しを頂いておられる、ちょっとポイントの外れた話しをさして頂いたんですけれども、皆さんお考えになったでしょうか。どういう信心、どういう信者になったら、椛目の信者じゃない、合楽教会の信者として、おかげ頂けれるようになるだろうか。
 先ず、おかげ頂かにゃでけんです。そりゃおかげ頂かにゃいけません。ね、日本一といわれるような教会には、やっぱり日本一的な信者がおられます。この頃から何の話だったでしょうか、椛目にゃ御信者さんが、そのあらゆる御信者さんが、もうあの網羅されておる。そしてあのう、実行委員の方達が出けておられる。あらゆるタイプの人達がおられる。ていう話しからだったでしょうか。
 そうですたい、もうほんとにあらゆるタイプの人がおられますけれども、「これに(笑い)金持ちがいっちょおると、椛目もも大分いいんですけれども」ち言うて話した事でした。「大体幾らかかるとですか。」「五千万」「ま半分だけ私がおかげ頂きましょう」ち、(笑い)いうてから。ね、甘木やら玉水やらには、それが居るんですよ。ね、そういう人達はです、始めからそういうんなら、「久留米の石橋さんのごたる人ば、信者にお導きしよう。」それじゃつまらんのです。
 持っとったっちゃ、なぁんもならんです。持っとるけんでちゃ何もならんです。ほんとに、言うならば裸一貫から、例えばほんなら皆さんがです、皆さんの様な状態の中からです。そして千、二千のですたい。ね、千万、二千万のお金ぐらい自由にね、感謝のような、扱わせて頂くようなおかげを頂いた人でなければ、役には立たないという事ですよ。ね、ですから皆さんが先ずおかげを受けさせて頂いて、いわゆる億万長者にでもならして頂く様な、おかげを頂かなければならんという事です。
 ですからそういうおかげを、頂く為にはどういう信心をさせて頂いたらよいのだろうか。一生懸命お参りさせて貰う。一生懸命修行させて頂こう。何て事をそれをもう具体的に思うたら、どこを焦点に信心させて頂いたら良いかという事になるでしょう。私も考え考えお話ししよるんですよ。ですけれども考え考え、ああ私はあすこは、こう改めて行こうと。私は夕べの御理解を皆さんに話したことですけれどもですね。
 お互い自分の欠点というもの、ここを改めたらおかげになると言った様なものをですね、やはり信心を求めておるもの。本気で信心を分らして頂こうとするものは、そこをいつもり組んでおる。自分は気が付かなかった欠点を気づかせて貰うて、それを改まろうと勤める。出来るけれどもです。自分の長所を知らない人がいる。ですから私共が気づかない長所をです、例えば私共は椛目のですね、よかとこということを。
 昨日親先生が言っておられたのですが、ははぁ椛目ではですね、御結界の雰囲気が素晴らしいという、それをそのままあちらへ持って行けと言われる事なんかは、私共は知らなかったんです。皆さんもそうだったでしょう。ははぁ今度出けておる、お玄関から御広前まで長い廊下を渡っていくが、あの渡って行く時にすでに御広前に入らして頂く、これから御祈念をさして頂くこれからお取次ぎを頂かして頂くという雰囲気がです。
 頂けねばならんためには、あの廊下に工夫せねばいけないなという事が、感じられます。ね、と言う様にです私共信心もです。だから今までの通りであれば椛目の信者であるという事ですよ皆さん。ね、だから今まで通りであっては、やはり椛目の総代であり、椛目の信者でありますから、今までとは違ったところへ信心が、焦点を置き換えられて、信心が進んでいかなければならないという事です。
 あ今日夕方ある方が親子四人連れで参って来た、お食事しよったら。夫婦喧嘩してから五、六日、嫁さんこっち出て来とった、昨日一昨日その嫁さんが子供二人連れて泣き泣きやってきた。先生私はこっちから降りて来んであっちから降りてきたから、どうしたこっじゃろうかと思いよった。そしたら丁度夕方ですもんで表に出とった。そしたら先生「実は私は夫婦喧嘩してから、こっちに子供連れてから帰ってきとります」。
 「もう帰らん積りで御座いましたけれども、この子供達を見るとやっぱり子供達のために、辛抱しなければなりません。ですから今から帰ろうと思いよります」と、こういうから、ね、そうです。「んなら子供達のために泣き泣き辛抱して帰えったっちゃ、また帰ってこんならんよ」ち、私が申しました。「あぁもうほんとに主人がどうの、お母さんがどうの、周囲がどうの」とこういう。自分ないっちょん悪るない。
 ですから信心させて頂いたらね、「まず自分自身が悪かったと分からにゃ、いかんのですよ」と。「先生どこがどげん悪うございますじゃろうか」ち。そげなこつ言うとったちゃ、今日は福岡にゃ、あしもた福岡なんですよ。「そげんああたが言うごたるならばですよ」ね、「ほんならあんた今日は帰っちゃでけん」と私が申しました。「自分の悪かとこが分からんなら帰っちゃでけん」と。
 そしたら涙ばこう流してから、その「先生そんならその分るとこば教えて下さい」ち、「自分の胸に手を当ててみろ」というた、「私しゃほんなら、腹は悪うなかばってん、ただ口がちっと悪かだけ」と、そげなふうに言うとですたい。「そげなこっじゃなか、口は悪かったっちゃよかばってん、腹はよかつなかじゃいかん。腹が悪か」と私は言うた。(笑い)そしてとうとう泣き出してしもうてから。」
  もう本当にあの子供がその、テレビ見よったげなら、9時ごろお父ちゃんと一緒に海水浴に行ったげな。そん時のニュースがテレビに出てから、お父ちゃんやら自分がテレビに出てきたもんじゃけん、矢も楯もたまらんでから、「お母ちゃん帰ろう、おかあちゃん帰ろう」ち、言うげな。だからもう子供に言うて聞かせてから。「まあ、一時ばかり待っとかんの」「父ちゃんがちゃんとその、自動車で迎えに来るときまで待っとかんの」、「お母さん今日は家に帰ることは出来ん、あんたも家に帰りなさい」
 「そして気づかして、あんたが頂いてごらん」ち、自分が悪かったち、いうことに自分が気づかして頂いたらです、みよってご覧「すぐにでもお父さんが呼び来る」と私が申しました。ところがそのう、昨日も来ません(笑い)もんね、お父さんになるとが。あいたそりゃ向こうもそうにゃその、帰ろうと思うてここまで弾んで来とるとやきん。帰りとうて。そしたら今朝の朝の御祈念のとき参ってきておりました。私ももう今日は迎えに来てくれるもんと思うてからですね。
 「昨日こげなふうじゃったばい」ち、「こげん言うて聞かせとったけんで、あんた迎え行くじゃろもん」ち、「いえいえ、迎えにいきまっせん」ち、こう言うてからもう、あと、お届けしよったら私がどうかと言うかと思うてから、もうつんつん帰ってしもうたですもん。後から私が、言うて聞かせようかと、あんた嫁ごばっかり、悪かごつ言いよるばってんが、あんたが悪かこつあんたもわからにゃできん。
 よっぽど思うたけんど言うたっちゃでけんから、言われるほかない思うてから、一生懸命いわれよったんです、私が。ね、そしたら夕方自分の部屋におったら(笑い)親子四人で、侘びにきとりますもん。はあ迎え行ったばいなと思うて。私はそん時に話させて頂いたんですよ。ここに総代さんの高芝さんちいう人が、居ってでしょうが、あっちの奥さんとでも知っとってじゃろうが、とってもよか人じゃん。ね、
 そのよか人が自他共に許しておる高芝の奥さんがよ、もうこの人はいっちょんみがとどかんごたる。そげんどん言っちゃ高芝さんが見所ん有るごたるばってんですね、ほんなこつ言われたことないでしょうが、あそこん奥さん。よか人です。それがその日の朝、ここでお届けされるのに、ほんとに私は善人と自分で自負しとったけれども、最近ようやく自分の悪かとこに気が付いてきたとこう申します。
 子供じゃない、孫じゃない、誰彼じゃない私が悪かったと気が付いたと言うて、その時にお届けなさったことを私が話した。「はぁ先生そげな風に頂きよるとほんとに私も悪か」と、「悪かとこをもうちょっと本気で分らんとでけん」「あんたが本気で分った時に、ほんとにお父さんが自動車で迎えに来るじゃろう」と言うて、私が言うておりましたら、一日置いて今日おかげでその無事むかえをうけて、今日帰らせて頂いた。
 もう後姿それを見送らせて頂いてそれを思うんですよね、子供達のために泣く泣くして帰ったんではまた、いかんけれども自分が悪かった、自分が悪いという事に気付かせていただきゃ、またちった今度一時はもてるだろうとこう私が思う。ね、また同じ事ですよね。また自分がよかこつなる。そりゃ何べんでん繰り返すがよか。繰り返していきよるうちにおかげ頂きよる。お互いでもそうでしょうよね。
 私はですよね、もう合楽教会の信者としてです、私共がおかげを頂かして頂くために、いよいよ、甘木の初代親先生じゃないけれども、「われよしと思う心を仇として、夜毎日ごとに戦いて行け」というような、信心が真実心の底から出来なければいけない。娘が悪いのではない、おっかさんが悪いのじゃない、娘は娘自体私が悪かったのであり、おっかさんはおっかさん自体、私が悪かったのであり。
 主人は主人で私が悪かったんであり、しかも、自分で良いという心がもし出たとするならばです、それを仇のように思うてそれに取り組んで行けという信心が、先ず、身についていかなければならないと、私は思うのですね。どうでしょうか。ここんとこを本気で気付かせて頂いたら問題が本当に解決すると思うんですよすぐ。問題がなくなるです。「ね」、問題があるです、けどわれよしと思う心というものと、取り組む心地になってごらんなさいすぐ解決しますから。ね、
 次にはね、辛抱力が強うならなければいけません。三代金光様がです、ね、そのお言葉に、私がそこに座右の銘に、御結界の裏に書いておる。「神信心には、辛抱をすることが一番大切でございます」と言うてある。たったそれだけのことだけですけれども、私はそれを見るたんびに、そうでございますと思うのです。神信心にはねえ、辛抱するということがいちっばん、大切でございます。ね、辛抱しぬかなければいけません。
 今日は私午前中にもう、二百四五十人ぐらいお届けさせてもらった。もう夕べはここに、大水が入りましたもんですからね、もう夕べ二時ごろから寝なしです。こりゃもう眠うして眠うしてもう応えん。今日がほんに居眠り運転ちいうごたる、もう一頁ばっかりはもう、(笑い)字なんかは太うこもう、それでこそ中には大変なお届けがあるんです。そのたんびはっと思うちゃ神様(笑い)にお取次ぎさせてもらう。
 神様だけは聞いてござる。まあようやく二点だけは誤らなかったと言った様な、もう十二時下がる時にそれを感じたんです。ですからもう汗はぶるぶるなる。鳥栖の上野さんが参って来て、もうほんとに「先生今日は、お顔の色がつやつやしておいでられてから、お風呂から上がられたばっかりのごつしてあります」と言うてから。そうじゃろうね汗がぶるぶるですから、こうやって拭きよるもんじゃから、丁度風呂から上った様にして。教祖の神様がそうやったそうですね。
 もう何年ですかね、御結界奉仕をなさるようになってから何十年間とお風呂入られたことがなかったそうです。それでも何時も、今お風呂から上がりましたと言う様な、この御皮膚の色艶というものがですね、徳を受けるとそうなるんです。だから私はそう言う様なね、色艶の出るようなおかげを頂きたいと思うのです。今日私のは汗がぶるぶる流れよるとですから、こらあほんなもんじゃありません。ね、
 ズーっと、こう暑かっても、涼しい顔しておれるような、今風呂から上がりましたといったようなです。例えば儲け出すときには色艶が良くなるです必ず。ほんとですよ。だから毎日鏡を御覧なさい。皮膚の色艶が悪いなら、人相がまだ福々しゅうないなら、「こりゃまだ、分限者にはなれんばい」ち言うて間違いなかです。本当です。ほでからニコっと笑ろうてみてですね。
 「はあこげな顔なら良かろう」というごたる風でですね、もう、朝からそれが必要なんです。それでから私は、洗面所の横に必ず大きな鏡をかけてある。それを見てから、にこっと笑うといてから、こちらに下がってくることにしている。本当ですばい。そういうおかげを頂かしてもらいたい。もう河野先生は御結界奉仕しておられるときは、色つやつやしてござる、もう後光のさしよるごたる。
 と言う様なおかげを頂かして貰わんならんためには、そんなら私はどう言う様な信心させて貰わんならんか。愈々私が辛抱強ようならなければならないと。同時に愈々私がです、ね、愈々私が「われよしと思う心を仇として」から本気で、神様と対決していかなければならない。二、三日前でした。ある人がもう先生辛抱が出けませんと言うお届けに来た。そしたらあの、しのぶというのがありますでしょう。
 こうあのつる忍ぶというてから、もう盆栽の。ね、シダの一種です。それがね大体青々として、今頃しておらんならんのだけれどもね、地肌が見えよる。一本その芝生ではないシダがですね、あのシダが一本スーッと、こう出ておるところを頂いた。ははこの人が今この辛抱ばしきらんち、いいよるとこりゃ「ほんなこつこりゃシダになってしまうばい」ち私は思うた。シダということは、死んだ田ということは、種をまいても、いわばもう不毛の地なんです。
 種をまいてもです、種をまいても、種をまいても芽が生えん。おかげを受けられない者なってしまう。折角ともども八つまで辛抱させてもろうたのであるから、あとさあまあ二つ神様にすがって辛抱し抜かして頂かなければいけないと私は思うと。ね、そういうおかげを頂かせてもらうとこれが、丸く青々と地肌が見えんようになる。それで早よう決めて、ひと辛抱させていただこうという気持ちになってそれがです。
 辛抱するということが、合楽教会の信者のというのでなくてです、辛抱し抜かせて頂くということがです、お互いが願っておるところのおかげの受けものになるのであるから、辛抱し抜かねばいけないでしょうが。そして辛抱し抜かせて頂く楽しみというもの、辛抱し抜かせて頂くということ、神信心には辛抱しぬかせて頂くということが、一番大切でございますから、私共があそこで、それこそ泣く泣くでも辛抱させていただこうという気も起こってくるのです。
 その次の楽しみがあるのです。辛抱力。われよしと思う心です。次には、いよいよもって、本気で限りなく美しゅうならせて頂こう、「おかげは和賀心にあり」と仰る、和らぎ賀こぶ心にならして頂こうという、願いであり、願いではない、意欲である。元気な心ということで、今日ここに頂かせて頂いたんですけれども、元気な心というのではなくてですね、何て頂かせてもろうたんですかね、
 どうしてんですかね、今日ある信心のグループの方達がお参りして見えられまして、二十名おりますと。それで、椛目の御造営のために、銀行から二十名で六十万借りた。それで毎月千円、または二千円づつ払うて、三年間払っていくうちにその、六十万が、片がつく。そういうふうなおかげを頂いておりますから、どうぞ万事順調に、銀行に払いがけ来ますようにと言うて、お届けがあった。
 私はそれをきかして頂いてですね、「そげんもん、なさらんがいいですよ」て、お宅のほうではね、まあだこれ、椛目に数えて何べんしか参ったことないという信者も入っておられるのだから、そういう無理はなさらんがいいですよと、もう、よっぽどここから言おうと思うたらですたい、神様から頂きますことが、今、元気な心でなくてですね、なんとか、先生、ん?(誰かが横から)「熱」、ん?(もう一度横から)「熱意の熱」。熱じゃったでしょうか、、、。(音声がここで終わるが、話はまだ続く)